「嫌がる仕事の中に、仕事はある。」”まず行ってみる”を積み重ねてきた、持たざる者の仕事術

「嫌がる仕事の中に、仕事はある。」”まず行ってみる”を積み重ねてきた、持たざる者の仕事術

太田 啓介 氏

太田 啓介 氏

株式会社ケイズエコロジーテクニカル

代表取締役社長

おおた・けいすけ/愛知県名古屋市昭和区・瑞穂区エリアで育ち、高校中退後に喫茶店、鉄筋屋、設備工事など11職種を経験。1995年27歳で独立し、有限会社ケイズプランテックを設立。2000年株式会社ケイズエコロジーテクニカルに組織変更。清掃、産業廃棄物処理、リサイクル、リユース事業を展開する。

「うちの仕事って、同業が嫌がる仕事が多いんですよ。」

そう笑いながら話すのは、株式会社ケイズエコロジーテクニカルの代表・太田啓介社長です。設備清掃、産業廃棄物処理、リサイクル、リユースなど、事業内容だけを見ると“環境関連企業”という言葉でまとめられるかもしれませんが、実際に話を聞いてみると、この会社の本質は少し違うところにありました。

「まず行ってみる」「知らんでもやってみる」「同業が嫌がる仕事を引き受ける」。そんな泥臭い積み重ねを続けてきた結果、今のケイズエコロジーテクニカルがあると言います。

高校中退、11回の転職、東海豪雨による被災、2000万円規模の設備投資の失敗など、決して順風満帆ではなかった太田社長の話には、“働くこと”に迷っている人の肩の力を少し抜いてくれるようなリアルさがありました。

 「掃除屋」じゃなくて、“設備を守る仕事”

——まず、今の事業内容からお伺いしてもいいですか?

 

太田 啓介 氏

「分かりやすく言うと、清掃業と、それに伴う産廃、それからリサイクルとリユースですね。4本柱みたいな感じです。」

 

「分かりやすく言うと、清掃業と、それに伴う産廃、それからリサイクルとリユースですね。4本柱みたいな感じです。」

 

太田 啓介 氏

「うちはどっちかっていうと、設備の洗浄が多いですね。工場の配管だったり、タンクだったり、グリストラップだったり。ビル清掃っていうより、“設備を正常に動かす”ための仕事なんですよ。」

 

太田社長はそう言います。

 

太田 啓介 氏

「うちはどっちかっていうと、設備の洗浄が多いですね。工場の配管だったり、タンクだったり、グリストラップだったり。ビル清掃っていうより、“設備を正常に動かす”ための仕事なんですよ。」

グリストラップとは?
グリーストラップ(グリストラップ)は、飲食店の厨房などから出る排水に含まれる油分や残飯を一時的に溜め、
下水道へ直接流出するのを防ぐための装置です。下水管の詰まりや水質汚濁を防ぐために設置が義務付けられており、定期的な清掃が不可欠です。

 

実際、話を聞いていると、“綺麗にする”こと自体が目的ではないことが分かります。

例えば、工場の冷却設備。配管の内部にカルシウムや汚れが蓄積すると、本来の性能が出なくなり、設備が冷えなくなるそうです。そこを洗浄し、本来の状態へ戻していく。

 

太田 啓介 氏

「だから、“掃除しました”じゃないんですよ。“治った”っていう感覚なんですよね。お客さんから“ちゃんと冷えるようになった!”って言われる瞬間が、一番うれしいですね。」

 

——なるほど。“設備を直している”感覚なんですね。

 

太田 啓介 氏

「そうそう。うちの仕事って基本“止まると困る場所”ばっかなんですよ。工場もそうだし、飲食店もそうだし。だから、表に出る仕事じゃないんだけど、誰かがやらんと困る仕事なんですよね。」

 

実際、ケイズエコロジーテクニカルが扱うのは、工場設備、排水設備、グリストラップ、配管など、普段人の目に触れない場所ばかりです。ただ、そういう“見えない場所”が正常に動いているからこそ、工場も、飲食店も、街も当たり前に回っています。

 

太田 啓介 氏

「見えない場所を支える仕事なんですよ。」

太田社長のその言葉が、この会社をすごく表しているように感じました。

「まず行きます」で広がった仕事

——創業当初って、どんな感じだったんですか?

 

太田 啓介 氏

「いや、もう仕事がなかったですよ。本当に。“仕事ください”って言いながら動いとった感じですね。草刈りもやるし、引っ越しもやるし、深夜清掃もやるし、とにかく来た仕事は全部やるみたいな。」

——営業経験があったわけではないんですよね。

 

太田 啓介 氏

「全然ないです(笑)。でも、“まず客先へ行く”っていうのは決めとったですね。知らんことでも、とりあえず行ってみる。」

そう話す太田社長ですが、当時は設備の知識が今ほどあったわけではないそうです。例えば、知り合いから「工場のポンプが動かないから見に来れんか?」と連絡が来た時も、正直、完璧に分かっていたわけではないと言います。

 

太田 啓介 氏

「でも、“まず行きます”って言ったんですよ。今思うと、よう行ったなと思いますけどね(笑)。」

実際に現場へ行ってみると、原因はブレーカーが落ちていただけだったそうです。

 

太田 啓介 氏

「行ってみたら、“あれ?ブレーカーじゃん”って(笑)。上げたら動いたんですよ。でも、お客さんは“助かった!”ってめちゃくちゃ喜んでくれて。」

——結果的に、その一件が仕事に繋がっていく。

 

太田 啓介 氏

「そうなんですよ。こっちからしたら、“ブレーカー上げただけなんだけどな”って感じなんですけど(笑)。でも、困っとる時って、“すぐ来てくれる”っていうのが一番ありがたいんですよね。」

当時は、“営業する”という感覚もなかったそうです。ただ、そうやって「まず行く」「まず動く」を続けるうちに、少しずつ信頼が積み上がり、仕事が広がっていったと言います。

 

太田 啓介 氏

「結局、知らんからやらん、じゃなくて、とりあえずやってみる。それしかなかったですね。」

現在では、大手工場や飲食チェーンなど幅広い取引先がありますが、その多くは、こうした積み重ねの中で繋がってきた関係なのだそうです。

「他社が嫌がる仕事」の中に、仕事があった

——今の事業って、どうやって広がっていったんですか?

 

太田 啓介 氏

「やっぱり、同業が嫌がる仕事の中に仕事があったんですよ。夜中の仕事とか、汚れる仕事とか、危ない仕事とか。普通は嫌がるんですよ。でも、誰かがやらなきゃいけない。だったら、うちがやろうって。」

創業当時は、深夜の飲食店清掃などもかなり多かったそうです。

 

太田 啓介 氏

「焼肉屋さんとかパチンコ屋さんとか、夜中しかできん仕事って結構あるんですよ。普通は嫌がるんだけど、うちは“やります”って受けてたんですよね。」

 

太田 啓介 氏

「泥臭かったですよ(笑)。でも、そこからなんですよね。」

実際、現在のリサイクル事業やリユース事業も、“最初から計画していた”わけではないそうです。

 

太田 啓介 氏

「例えば、“この油なんとかならん?”って相談されるわけですよ。で、調べたら燃料化できるらしいって分かって、“じゃあ見に行こう”って東京まで行ったりして。そこで北海道の方を紹介されて北海道まで行きましたもんね。」

——まず動いてみる。

 

太田 啓介 氏

「そうそう。やっぱり、動かんと見えてこんですから。」

現在では、飲食店から出る廃油を回収して燃料化する事業や、工場部品を洗浄・再利用するリユース事業なども展開していますが、それらも全部、“お客さんの困りごと”から始まっていると言います。

一方で、何でも手を出しているわけではありません。

 

太田 啓介 氏

「今までやってきた仕事と繋がらないことはやらないですね。そこ外すと失敗するんで。結局、目の前のお客さんの困りごとを解決しとったら、事業が増えていった感じですね。」

実際、現在の事業を見ても、“環境”や“設備”という軸で全部繋がっています。

「メンテナンス」が必要なのは、人も設備も同じ

——今後は、どんな方向へ広げていきたいんですか?

 

太田 啓介 氏

「やっぱりインフラ関係ですね。下水道とか、配管とか。これから絶対増えると思うんですよ。」

最近では、下水道の陥没事故なども増えています。

 

太田 啓介 氏

「人間の体と一緒なんですよ。設備も、ちゃんと手当てしないと絶対ダメになる。放置しとると、壊れるんですよね。今は下水道関連やインフラメンテナンス、ドローンを活用した調査など、新しい領域にも取り組み始めてるんですわ。」

「環境の仕事って、終わりがない。だから逆に面白いんですよね。」

——“綺麗にする”というより、“長く使える状態を作る”。

 

太田 啓介 氏

「そうです。壊れてからじゃ遅いんですよ。だから、メンテナンスって必要なんですよね。」

その言葉を聞いていると、太田社長の仕事観は、“修理”とか“保全”に近いのかもしれないと感じました。壊れる前に守る。止まる前に支える。そういう仕事です。

「まずやってみる」を積み重ねてきた

取材中、太田社長は何度も「まずやってみる」という話をしていました。

 

知らなくても、まず行く。
できるか分からなくても、まずやる。
嫌がる仕事でも、とりあえず受けてみる。

 

その積み重ねの中で、今の会社ができてきたと言います。

 

太田 啓介 氏

「失敗もいっぱいしてますよ。2000万くらい失敗したこともあるし、水害で会社沈んだこともあるし。でも、やってみんと分からんですからね。」

——かなり壮絶ですよね…。

「いや、でも結局、動かんと何も始まらんですから(笑)。」

その言葉には、“成功した人の綺麗な話”というより、現場で積み上げてきた人のリアルさがありました。

この記事を書いた人

山田 健太

山田 健太

豊田・刈谷エリアを中心に、製造業で働くひとのインタビューを続けています。転職した人の話より、残った人の話に、もっとリアルな真実があると思っています。

山田 健太

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